ドロフシュという名をご存知の方は、相当絨毯がお好きな方に限られると思います。しかし、南ホラーサーン州ビールジャンドの北東80kmに位置する小村、ここドロフシュで過去に作られたペルシャ絨毯は、テヘランの絨毯博物館やマシュハドのイマームレザー廟内の博物館にも展示されています。
南ホラーサーン州ビールジャンド近郊で織られるペルシャ絨毯は、よく「ムード産」の名で流通していますが、現在ビールジャンドの南にあるムードの街の絨毯づくりは途絶えてしまっています。
一方でここ、ドロフシュ村ではデザインこそ博物館に展示してある絨毯の時代とは違いますが、今現在も家々で絨毯づくりの伝統が続いています。そしてビールジャンドの絨毯商たちは口をそろえて言います。「この辺りで一番の絨毯を織るのはドロフシュだ」と。
「ドロフシュ」はゴヘスターンという村の一地区の名称です。ゴヘスターンはアーシヤーバーン地区とドロフシュ地区から成り、またさらにその周辺の村落も含め絨毯づくりの盛んな地域です。この辺り一帯の絨毯をドロフシュ産と呼んでいます。
山がちで降雨の少ない地域ですが、絨毯以外では農業、特にゼレシュクの栽培が盛んです。ゼレシュクとはグミの一種でその果実は赤く酸味が強く、イランでは干したものをご飯の上にかけて食べます。ゼレシュクの栽培は南ホラーサーン州でのみ行われているようです。
ちょうど秋の収穫の季節で、村のまわりの畑は赤く染まっていました。ゼレシュクの木にはするどい棘があるので、収穫の際に厚い手袋をしていますが、それでもとても大変そうです。実際に私も少し体験させてもらったのですが、体のどこかしらに棘にあたって痛いのなんの。
さて、このドロフシュ地域のペルシャ絨毯は垂直式の織機で織られます。ペルシャ結び(パイルが2本の経糸に対し非対称に結ばれる)でルールバーフト(デプレスのかかったガッチリした織り方)です。
使用される色は、濃い赤、淡黄色、藍色、ピスタチオグリーン(黄緑)、ベージュ、青が多く、フィールドカラーはクリーム色か濃い赤のものがほとんどです。
デザインはメダリオンコーナー、メダリオン、オールオーバー、が多く、マーヒー柄がよくつかわれます。メダリオンは大きめの円形のものが多いです。また少ないですがメヘラーブの鳥獣柄のものも見かけました。
博物館にある昔のドロフシュ絨毯は、ボテ(ペイズリー)や糸杉の柄のもの、メダリオンに鳥獣柄のものですが、現在では昔のデザインのものは作られていないようです。
デザインこそ時代にあわせて変化したとはいえ、はるか昔からこの村の家々では同じように絨毯を作り、その伝統が今に続いています。絨毯づくりが割に合わない、お金にならないということで、過去の産地となってしまった地域も多いですが、ドロフシュの絨毯づくりの伝統がこれからも永く続くことを願います。
家々を周って絨毯を見せてもらいます。メダリオンの6㎡を一枚仕入れてこようと思っていたのですが、価格がおりあわなかったり、ジョフト(2枚組)でしか売ってもらえなかったりで、残念ながら予算オーバー。
続いて、3か月前に伺った家々に再度お邪魔します。前回は持ち帰るすべが無かったのですが今回は準備万端です。
まずはハージェ・ゴルバーンさんのお宅で6㎡マーヒーのオールオーバーを仕入れ。
おじいさんは絨毯づくり歴70年の大ベテラン。今でも奥様と娘さんと一緒につくってらっしゃいます。
こちらも2度目の訪問になる、イスマイーリーさんのお宅。奥様とお二人で絨毯をつくっています。
前回は泣く泣く購入をあきらめたイスマイーリーさんの絨毯。ついに念願かなって仕入れることができました。上質で価格もGood!
ドロフシュの絨毯づくり、いかがでしたでしょうか。絨毯商を通さず、村の家々から直接仕入れましたので、お客様と織り手の間には私しかおりません。もちろん、洗浄・仕上げが必要でしたし、輸出手続き等で別にコストは掛かっているのですが、それでも間に絨毯商が入らない、本当の意味での直接仕入れ・現地仕入れが実現しました。当オンラインショップで販売中です。是非ご覧ください。
最後にドロフシュのナン屋さんの写真。興味深々で話しかけられました。田舎に行くと外人はとても目立ちます。実はこの直後、警察署に連行されてしまいました。と言っても、パスポートとビザのコピーを取ったあとすぐ、署長さんから「ホシュアーマディード!(ようこそいらっしゃいました)」と言われて握手して解放されたのですが。
イランの村落にご旅行の際はくれぐれもホテルにパスポート預けっぱなしは避け、常に携帯してください。パトカーに見つかると確実に職質です。街中だとお巡りさんスルーなんですけどねぇ・・・。