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執筆者の写真rugsrang

トルキャマンの村 ドゥイドフ再訪



ドゥイドフ再訪 トルキャマン

 10月にトルキャマンの村、北ホラーサーン州のドゥィドフ村を再訪してきました。シルクの両面織絨毯をつくる唯一の村です(前回訪問時ブログ記事参照)。この村まではとにかく遠いので日帰りは厳しいなぁと思っていましたが、事前に連絡したところご厚意で村に宿泊させてもらうことになりました。


マシュハド バスターミナル

 ビールジャンドから夜行バスで早朝マシュハドに到着、バスターミナルからそのままチャーターした車で出発です。合計14時間程のハードスケジュール。マシュハドから22号線を西に向かい、グーチャーンを通り過ぎます。グーチャーンクルドの白いテントがちらほら見えます。今もテントで遊牧生活を送るクルド人は多くはないそうです。寄りたいな、と思いましたが時間が無いので諦めました。いつか訪問したいものです。

 グーチャーンを過ぎ、北ホラーサーン州に入ると次の街はファールージ。この街はナッツの街として有名だそう。ここでナッツ類の生産が盛んというわけではなく、他地域のイラン産または輸入ナッツがこの地に集まります。幹線道路沿いには数えきれないほどのナッツ屋が並んでいます。マシュハドからかなり距離があるのにこんな田舎でナッツを売って商売が成り立つのか本当に不思議ですが、トイレの看板なんかもあって、ドライブイン代わりに寄る車も多いです。


ファールージ イラン ナッツの街


ファールージ イラン ナッツの街

 ファールージの次はシールヴァーン、そして北ホラーサーン州の州都ボジュヌールドです。ボジュヌールドには空港がありますがテヘランのとの国内線が州に数便あるだけで使いづらいです。

 ボジュヌールドを過ぎてから右に幹線道路から外れると、やっとラーズ・ジョルギャラーン地区への道に入ります。ここまでで4時間。ここから3時間です。山並みと草原の美しい景色が広がる地域です。


イラン リクガメ

 道中にはリクガメも。

 途中のガソリンスタンドで村の絨毯を取り仕切るアーファリーン氏と待ち合わせ。今日は彼の家に泊まります。再開を喜んで、握手しながら互いの肩を抱き両頬にキスするイラン風の挨拶を交わしました。ひげがチト痛いです。

 ここからは舗装されてない砂利道を進みます。別の村を超え尾根を越え、ようやくドゥイドフに到着しました。


ドゥイドフ村の風景

 ドゥイドフはトルキャマン、テッケ支族の村です。100年ほど前にロシア方面(現トルクメニスタン)から移住してきたそう。100年前というとちょうどロシア革命の頃です。私の語学力の低さのため詳しい話を聞けず残念だったのですが、おそらく相当な苦労が彼らの先祖にはあったことでしょう。彼らの顔立ちをみると、特に娘さんや息子さんの風貌はロシア人に似ています。背丈は高くないですが、髪の色は明るいブラウンで肌の色も白いです。瞳はブラウンだったり青だったり。

 ちなみに彼らは家庭内ではトルクメン語を話します。学校ではペルシア語で教えていますので、大抵の人は両方話せますが、アーファリーン氏のペルシア語は訛っていて私には非常に聞き取りづらいです。


ドゥイドフ村 夕暮れ

 村内は舗装されておらず、入り組んだ家々の間を細い小道が通っているだけの貧弱な交通インフラの村なのですが、家の軒数は多く、こんな僻地にもかかわらず人口はおよそ3千人程もいる大きな村です。子供たちもそこかしこに居て、日本、特に私の住む秋田県の過疎化した村とは全く様相が異なります。100年前の秋田の村も、このように子供たちがいて活気にあふれていたのかなあ、なんて考えてしまいます。しかし村には病院も救急車も無く、ちゃんとした医療を受けるには3時間かけてボジュヌールドまで行かなくてはいけないのが喫緊の問題だそうです。


典型的な定住したトルキャマンの住宅

 村内の住宅はおおよそ同じパターンで建築されており、似たような家々が並んでいます。土壁に囲まれた敷地内には母屋と家畜小屋があります。母屋の1.5m程の高い基礎には階段がついており、登るとそこはテラス兼廊下になっています。この部分の屋根は木の柱で支えられています。テラスは土足、部屋にあがる際には靴を脱ぎます。宿泊したアーファリーン家は2世帯同居で合計4室の独立した部屋(居間・客間・息子夫婦の部屋・空室)がありました。居間の隣に簡単なキッチンがあったようですが奥様や娘さんたちがいらしたので勝手に見て回ることもできず、確認できませんでした。ですがメインのカマドは屋外にあって、また洗いものも屋外の水タンクでおこなっていました。電気は通っていますが、ガスはまだ通っていません。村への道中、ガス管工事が行われている最中でした。いずれ開通する予定だそうです。

 トイレも母屋とは別棟の屋外の小屋で、昔の日本の田舎のよう。様式も和式のボットンとほぼ一緒です。違いは用を足したあとは紙ではなく水で洗う所。水差しだけでなくホースがついていたのがありがたい。電気もつきます。日本のシャワートイレに慣れた身としては、ヨーロッパの紙で拭くタイプ(しかも国によっては紙を流せない)よりも、イラン式のほうが慣れるとストレスがありません。和式+便座シャワーみたいなもんですので。ただ注意するところは座る向きが逆で、流し口がお尻側になります。

 通信インフラのほうは、携帯電話の通話は可能ですがインターネット接続はできませんでした。ですがアーファリーン家の息子さんや娘さんはサムスン製のスマホを持っています。これも私の語学力のせいで確かではないのですが、申請を出すとある程度使うことができるようなことを言っていたような・・・。

 それにしても世界中どこでも携帯端末を持つ時代なのですね。20年前に携帯電話が出始めた時代からすると想像もつかない世界になりました。イラン人からはよく「日本製の高級機種を持っているだろ、見せてよ。」と言われるのですが、残念ながら普段使いはLGで、海外用にはSIMフリーの中国製を使っているので期待に応えられません。なんで中国製なんて使うの?と不思議がられます。イランでも中国製のイメージは安かろう悪かろうです。日本製は高級高性能というイメージを持ってくれていますが、イランでは日本製の車や家電を見かけることは少ないです。あるのは中古ミシンくらいですね。古いJUKIがバーザールに大量に並んでいます。日本車はハイラックスが日本円換算で650万するらしいので一般人にはちょっと手が出ないようです。

 脱線してしまいました。彼らトルキャマンはもともと草原の遊牧民ですので、馬には強い思い入れがあります。アーファリーン氏も自慢の馬を見せてくれました。品種はトルクメン馬アハルテケ。その昔、漢の武帝が西域に求めた汗血馬の血を引くともいわれています。三国志の関羽の乗る名馬、赤兎馬も汗血馬がモデルという説もあり、まさに歴史ロマンです。


トルクメン馬 アハルテケ


トルクメン馬 アハルテケ

 彼の所有するうち一頭の芦毛の牝馬が、もともと鹿毛だったのに半年くらいでみるみる芦毛に変わってしまった。不思議なこともあるものだ、なんて話をアーファリーン氏はしていました。

 アーファリーン家では馬・牛・羊・鶏・犬・猫を飼っています。おそらく村内の各家庭も同様だと思われます。羊は別に200頭程放牧しているそうで、「お金持ちですねぇ」というと照れていました。そして家で育てた家畜からの新鮮なお肉や乳製品が本当においしいのです。

 下の写真は、夕食に食べた子牛肉のシチュー、トルキャマン風羊肉ポロウ(ピラフの原型)や子牛肉の煮込み。子牛肉の煮込みは前回の訪問時のブログで紹介しましたが、シチューのほうも絶品。柔らかいお肉とトマトの風味。ヨーロッパのレストランの味に劣らない味でした。

 トルクメンのポロウはウズベキスタンのプロフよりも脂っぽくなく食べやすいです。ウズベクのプロフはニンジンが必ず入りますが、ここでは入っておらず、代わりに干した杏が入っていて、すこし梅干しに似た触感と風味がありました。お米はイラン産の長粒種。一方ウズベクでは短粒種を用いることが多いようです。


トルキャマン風羊肉ポロウ 子牛のシチュー

朝食にはしぼりたてのホットミルクと出来立てヨーグルト、フレッシュチーズ、フレッシュバター。すべて自家製。最高の味でした。


トルキャマンの村での朝食

お茶と一緒に供された、酸味の強い乾燥ヨーグルトも彼らトルキャマンならではの味でしょう。お茶はイランではもっぱら紅茶ですが、ここでは日本の緑茶に似たものを飲みます。少しだけミントの風味があるのが違いです。この緑茶もほんとにおいしかったです。

 さて、絨毯の話に入ります。村では各家庭でシルク糸の染色を行っています。茜・ブドウの葉・クルミの皮など様々な身近にとれる草木から天然染料のみで染めています。漬ける時間の違いよっても幾色か出します。長年の経験と勘で染色するようで水の分量などは目分量でした。その時々の自然環境によって微妙に異なる色あいが絨毯に美しさを加えます。


草木染 茜 シルク


草木染 シルク


シルク両面織絨毯 ドゥイドフ

 トルキャマンの絨毯づくりは女たちの仕事。男性が作ることはありません。若い娘たちから老いた女性まで、みな絨毯を織ります。同居している末息子さんのマシュハド出身のお嫁さんもまた、結婚してこの村に来てから絨毯づくりを覚えて、今ではお一人で絨毯を作っています。アーファリーン家では奥様と娘さん達が織る織機と、息子さんのお嫁さんが織る織機が異なります。同居していても絨毯による収入は分かれているということでしょう。興味深いです。 

 ジョルギャラーン地区でもこの村でのみシルクの両面織絨毯が作られます。両側からパイルを結んでいるその特性上、ベースの部分は頑丈にできていて、パイルも倍あるため、出来たばかりの絨毯は折り曲げると少し硬く感じます。これをマシュハドに運び、ある洗い加工(企業秘密でした)を行うと全体がしなやかになり、光沢がさらに出ます。出来たばかりの自然な風合いも素敵だったので加工するか悩みましたが、いままで加工せずに売ったことは無いし、そのほうがおすすめということだったので、それに従って加工してもらいました。

 シルクの両面を仕入れたのは一枚のみ。この村でも最も高いレベルの織りの、両面メヘラーブ・生命の木デザイン。前回村を初めて訪問した際に織っているところを見た絨毯です。今回それがちょうど出来上がったという縁もあって日本に来ることになりました。

 近隣の村々で織られたウールのトルキャマンも買ってまいりました。かなり安くしていただいたのでお得な価格で販売しております。


ドゥイドフ シルク両面織絨毯

 村からの帰りは、アーファリーン氏と奥様がマシュハドに住む娘夫婦を訪ねるということでしたので、車に同乗してもらって一緒に帰りました。

 私の宿泊するマシュハドのホテルに着き、アーファリーン氏と固い握手をしながら例の挨拶を交わして別れました。お互い少し涙ぐんでまたの再会を誓いあいました。

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