イラン南東部ケルマーン州内の、アルゲバムやライエン、マーハーンの庭園やシールジャーン、ラーヴァルと、様々な都市や遺跡のブログ記事を今まで書いてきましたが、肝心の州都ケルマーンについては触れていませんでした。
突然ですが、イラン観光のハイライトと言えば、古都イスファハーンの中心、イマーム広場。そして、ケルマーンの一番の見所といえば、このガンジャリハーン複合建築群(コンプレックス)です。
とは言え正直、規模はイスファハーンのイマーム広場と比べると相当落ちるのですが、現在でもケルマーンの中心としていつも人々でにぎわっています。
広場の隅にぽつんと置かれた銅像のこの人がガンジャリハーン(ガンジ=アリー=ハーン)です。
彼はクルドの生まれ。サファビー朝中興の祖、アッバース1世の幼少時からの友人であり、そして二人が成長してからは皇帝の一番の重臣として東奔西走、ウズベクやトルコとの戦争や国内の反乱の鎮圧に非常に功のあった人物でした。
1596年にケルマーンでの反乱を鎮圧後、この街の総督に任じられた彼によってこの建築物群は建てられました。
そして先ほど触れたイスファハーンのイマーム広場を造ったのが彼の主君、アッバース1世その人であり、これらの建築時期もほぼ同じ時代なのです。
当時の首都イスファハーンとイラン南東部最重要都市のケルマーンに、サファビー朝の最盛期を築き上げたこの二人の名を今に伝える、偉大な建築が残っているというわけです。
ガンジャリハーン広場。一本のバードギール(採風塔)が立っています。広場を囲む回廊には彫金やケルマーン刺繍パテ、香辛料店、甘味処などの店舗が並んでいます。
回廊の内部。この時はラマザーンの日中で人がいませんでした。
キャラバンサライ(隊商宿)跡。パテ刺繍のショップが一軒営業していたと記憶しています。ちなみにイスファハーンのキャラバンサライは、現在アッバーシーホテルという高級ホテルになっています。
広場の回廊から延々1kmにもわたるケルマーンのバーザール。回廊の写真のように屋根があるのは600mほど。そこから先はご覧のような青空バーザールになっていて、食品を扱う店が所せましと並んでいます。八百屋、果物屋、肉屋。イランの面白い所は、肉屋では牛肉と羊肉を扱っていますが、鶏肉は別扱いで、鶏肉屋で売っています。そしてなんと魚とエビは鶏肉屋で売っているのです。
この写真を撮った時刻は夜の9時前後だったと記憶しています。日中よりも大勢の人込みでごった返していました。
市場で出会った少年。「おじさん、俺の写真を撮ってくれ!」と唐突に言われて撮影。
ガンジャリハーンからは離れたところですが、夜になって日が沈むと、公園に設置してある卓球台で少年から年配のおじさんまでピンポンに興じていました。中にはガチでスマッシュの応酬をしている卓も・・・。
私は食後にノンアルコールビール片手にベンチで彼らを眺めながら「のんびり平和でいい所だなぁ」なんてぼんやり夕涼みをしていました。
日本の外務省によるとケルマーン州全域が渡航危険情報でレベル2『不要不急の渡航はやめてください』となっています。当ブログ記事はケルマーン州への安易な旅行を勧めるものではありません。確かに、ケルマーン州内では以前ほどではないにせよ、パキスタンからもたらされる麻薬及び麻薬組織の存在が確認されています。
しかしながらケルマーン市内はいたって平穏な街であったことは確かで、イラン観光局もケルマーンへの外国人観光客を誘致している状況です。近い将来、外務省が危険情報レベルを下げることを期待します。
さて少しペルシャ絨毯の話。ケルマーン市内でもペルシャ絨毯が多くはないですが作られています。初めてケルマーンに来た時、一か所だけ見学したことがあります。
現地のガイドに連れられて来たのがここ。 看板には
「鉱工業及び商業省」「イラン国営カーペットセンター」「国南東部絨毯基盤」
なんてモノモノしい文言が書かれています。
そして半分観光客(当時)を相手にする気は無いらしく、かなりの塩対応をいただいてしまいました。「写真は撮ってもいいけど2枚だけね。」「ここでは絨毯は販売してないよ」だそうで。うーん。仕方あるまい。
ウールの大きいサイズの絨毯(おそらくオーダー品)を作っていました。大型の織機が10台ある部屋が二つあるとても大きな工場でしたが、時間帯が悪かったせいか織り子さんは3人だけ。ちょっと残念な感じになって退散。
工場見学の後にお邪魔した、ケルマーン市内の絨毯屋も言い値が高くて商売にならず。今思い返せば、当時はあくまで事前の調査旅行の段階だったのでそれもやむなしだったかな。
この翌日、ケルマーンの北にあるラーヴァルへ行って、ようやっとケルマーン州で取引できそうな相手を見つけたのでした。