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執筆者の写真rugsrang

ビジャー“鉄の絨毯” の誤解



 ビージャールの絨毯、ビジャーとも言われています。よく「“鉄の絨毯”と呼ばれるほど丈夫です」という売り文句で見かける、このタイプですね。

 ですがこれ、本当はビージャール産でもなければ鉄の絨毯でも無いのです。

 ビージャールの鉄の絨毯の由来についてiran carpet .com にアーカイブされている、『ビージャールの絨毯』によればこうあります。

~昔、ビージャールの絨毯は丈夫で固い絨毯であったため、鉄の絨毯と呼ばれている。この、粗い織りのゆがんだ絨毯は、経糸・緯糸ともにウールであった。羊毛は綿とは違い弾性がある素材であり、丈夫な圧縮した絨毯を得るため、羊毛の緯糸を

強く叩き潰し、結果、粗く圧縮された絨毯となった。しばしば緯糸が壊れるまで限界まで圧縮した。~

~しかし今日、経糸と緯糸はほぼ綿糸である~

~おそらくビージャールの絨毯が重く固かったもう一つの理由は、多くの緯糸を使用したためだろう。時には5本もの緯糸の絨毯もあった。しかし今日では緯糸は全て2本である~

 つまり、ビージャールの絨毯が本当に“鉄の絨毯”であった頃は、おそらく100年も昔のことで、経糸も緯糸もウールでつくっていた頃の異名であるということです。現在はそのどちらも綿糸が用いられているので、ビージャールの絨毯は“普通の”絨毯になっているのです。

 過去の通り名を現代のビージャールの絨毯の売り文句に使うことは、間違ったことではないでしょう。

 しかしながら、そのビージャールの鉄の絨毯として売られるものが、本当はビージャールではなく、タカーブやブーカーンのものであるということはあまり知られていません。

 これは決して、タカーブ・ブーカーンがビージャールのデザインコピーである、ということではありません。この六角形のメダリオンを持つマーヒー柄、“アフシャール”と呼ばれるデザインは彼らのオリジナルのものです。

 一方ビージャールでは、草花で飾られた優美なメダリオンコーナーが多く、イランでビージャールデザインというと、普通こちらを指します。


本来のビージャールの絨毯

本来のビージャール産絨毯のメダリオン部分

 そもそもタカーブとブーカーンは西アーザルバーイジャーン州の街で、暮らす民族はアゼリー人、話されている言語はアゼリー語です。ビージャールはコルデスターン州、民族はクルド人。まずここからして全然違うのです。

 これはタカーブ・ブーカーンの絨毯が、昔から名声の高かったビージャールの名で輸出されたため、世界的に「ビージャール」と認識されたためでしょう。

 さらに、かぎ針を用いたぎっちりとした構造・厚めの仕上げによって非常に重く、その渋いカラーリングもあいまって売り文句の“鉄の絨毯”は誤用であるにもかかわらず、タカーブ・ブーカーンの絨毯にぴったりマッチした、というわけです。

 タカーブの絨毯屋もビージャールの絨毯屋も、アフシャールの絨毯を指して「これはビージャールじゃない、タカーブだ」と言います。世界的に誤解されているのには不服なご様子。

 しかしどちらの産地の絨毯も、“鉄の絨毯”が誤用であったとしても丈夫であることは間違いの無い、さらに品質の高いすばらしい絨毯であることは間違いありません。

 当オンラインショップでは、この本来のビージャール産とタカーブ産、どちらの絨毯も現地から直輸入で販売中です。どうぞご覧くださいませ。


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