ザンジャーンの南東20kmにある世界遺産ソルターニーイェを観光しました。
イランの休日は金曜日です。絨毯バーザールは休業なので、金曜日は都市間の移動日にあてるか、自分も休日にして観光に行っちゃいます。
今回はモンゴルのイルハン朝時代、14世紀はじめに建てられた、第八代スルタンのオルジェィトゥ廟を見学した記事です。
オルジェィトゥ廟が建てられたおよそ100年後の15世紀はじめ、スペイン、カスティラ王国からティムール帝国への使節として派遣されたクラヴィーホという人物がいます。西欧のカトリック諸国が、当時破竹の勢いで勢力を拡大しつつあったティムールと、対オスマントルコで協力関係を結ぶために送られた使節でした。彼は、道中に立ち寄ったソルターニーイェについて書き残しています。
“スルタニヤーの町は平野にあって、市壁はないが、頑丈な石の外壁と美しい塔を備えた堅固な城塞がある。”
“町はタブリーズほど広くはないが、人口は非常に多く、商取引の中心地としての立地も優っている。”
“毎年小インドから多くの商人がこの町にやって来て、香辛料を大量に運び込む。粉生姜もシリヤに送られるもののほかは、ほとんどがここに運ばれる。クローブ、ナツメグ、シナモン、ナツメグの実の皮、その他多くの貴重な香辛料が、シリヤのアレクサンドリヤを除いてここに集まる。カスピ海沿岸のギーランで織られた絹織物は、毎年すべてここに運ばれ、ここからダマスクスやシリヤ領土、トルコ、ペルシャ、カッファ、その他地域に輸出される。”
『遥かなるサマルカンド』リュシアン・ケーレン編 杉山正樹訳 より引用
巨大な廟についての記載はありませんが、クラヴィーホが見たであろう「美しい塔」の基礎部分は残っています(上の画像の円形の部分)。ドームの周りに8本、高い塔(ミナレット)が天高くそびえる、さぞかし壮麗な城塞だったことでしょう。その周りの市街はシルクロードの隊商がひっきりなしに訪れる、商業の中心でした。
イスタンブールのアヤ・ソフィアに次ぐ規模のドーム建築
ドーム内の装飾
2階のテラスの天井の装飾
テラスからの眺望。現代のソルターニーイェは遺跡以外はとりたてて特徴のない小さな町です。中世の栄華は見る影もありません。
同時代に建設されたマドレセ(イスラム神学校)も残っています。
寂れた町にドームだけが威容を誇ります。日本だったら観光地の土産物屋が軒を連ねるのでしょうが、イランではイスファハン以外、ほとんど見かけません。
ソルターニーイェの近くに、古い龍のレリーフが残っているというので向かいます。
雪をかきわけて歩いていると、途中薄氷が張った水たまりを踏み抜いてしまいました。雪のせいで分からない・・・。
モンゴルに征服された時代、モンゴル人がイスラーム化する前に彫られたものらしいです。中国の影響。西欧と同じくイスラーム世界では龍は悪役です。
ソルターニーイェへは、ザンジャーンからタクシーをチャーターして行くと朝出発すると昼には戻ってこれる感じです。ザンジャーンに戻って、街一番というレストランで昼食をとりました。
レストラン「ポロウ」。写真はマーヒーチェ(羊の骨付き肉の煮込み)とサブズィーポロウ(香草入りご飯)。美味しいのですが、お値段も高かったです。といっても二人で食べて2,000円位なのですけれど。
他にもザンジャーンには名物のB級グルメ、ジャグール・ボゴウルという料理があります。
市場の中のお店。イランの外食ではめずらしい炒め物。
ジャグール(ジャギャルの訛り)とはレバーのこと。牛レバーとトマト、タマネギの炒め物です。炒め物の味に飢えていたのでとても美味しい。
ザンジャーンに行かれることがあったら、絶対おすすめです。200円位。安い!
午後、ザンジャーン市内の博物館へ行ってみました。
ここの目玉は、岩塩鉱の中でみつかった、塩漬けのミイラ。残念ながら撮影は不可。3体が展示されていて、古いミイラは2000年も前のもの。岩塩の落盤で埋まったために残ったミイラです。
博物館で丁寧に説明してくれた学芸員のバフラームさん。たまたま帰りも一緒になったので、シーシャ(水たばこ)を付き合ってもらいました。
大卒なので、兵役の一環として博物館の学芸員の仕事をしていると言っていました。そういうのもあるんですね。将来の夢は写真家だそう。
バフラームさんが紹介してくれた商店街の地下にある伝統的なシーシャバー。もともとはズールーハーネというイランの古式体操・武術の道場だったそうです。
チャイグラスを傾けながら、角砂糖をかじって、シーシャの煙をゆったりとくゆらす。とてもリラックスできるので病みつきです。
それぞれの席にはザンジャーンの昔のタイプの絨毯が敷かれていて、とてもいい雰囲気を醸し出しています。やっぱり絨毯っていいですね。